この話をしてもなぜか誰も信じないのだが、スキューバダイビングのライセンスを持っている。といってももう何年も潜ってはいないのだけど。いつか紺碧に輝く南国の海で、巨大なマンタと泳いでみたいと思い立ち、10代の頃に取ったのだ。
現在俺は36になるが、その夢は今のところ叶っていない。世間と都会の荒波に揉まれてすっかりスレてしまった俺にとっての海といえば、「眺めながら酒を飲むもの」という、少々ロマンに欠ける存在になってしまった。

そんなスレた東京人こと俺はこの日も(仕事もせずに)逗子の海を眺めて海辺を散歩。今月のカード請求額のことなど考えながら鬱々とした気分でビールを舐めるなどしていた。
そして夜は逗子在住の友人超おすすめ、ジビエが食べられる居酒屋へ連れて行ってもらうことに。

崎陽軒の入っているこちらのビル2階、『風ら坊』である。

木の温もり感じる、洒落た店内。逗子という街によく合っている。
なんだかここだけ酸素が多いような、爽やかで気持ちのいい空気感。

こういうのは和モダン、とかいうと安っぽい言葉になるのだろうか?建築やインテリアには疎くてな…。

壁やカウンターには青森ヒバのおがくずを使用しているとのこと。
山の中のような気持ちの良さは、これだったのかもしれない。

あまりにも…あまりにも魅惑的すぎるメニュー。ぜひ画像をアップにして隅々まで眺めてほしい。
熊、マンタ、猪、星エイ、ダチョウ、海亀…珍しい食材が目白押し。
しかしジビエの専門店というよりは、ジビエも食べられる、肉から魚、野菜までオールラウンドな居酒屋といった感じだ。

海沿いの街だし、魚介にも期待ができそう。
この日は牡蠣も推していた。

アルコールメニュー。
珍しいワイボトルサイズのボトルビールの品揃えが豊富。
ワインはその日の品揃えから、店員さんに頼めば一緒に選んでくれる。

樽生・葉山15ブルワリー夏みかんセゾン。
なんと、飲食店で飲めるのこのお店だけなんだそう。これは飲むっきゃないでしょ。
葉山を吹き渡る爽やかな潮風のようなビール。子供の頃、遊び疲れた夏休みの夕暮れがこんな色をしていた。
夏、先取りさせていただきました。

先付けは菜の花。うれしいね。
夏みかんセゾンと相まって、口の中が鮮やかな菜の花畑になった。
逗子では有名な豆腐工房「とちぎや」の冷奴も、爽やかな初夏の訪れを告げる。

瓶ビールは赤星。
猫ちゃんが旅をしているようなデザインの、オリジナルグラスで。

金柑と葉野菜のサラダ。うっとりするほど美しい…。

輪切りになった金柑の、優しい甘みと、ほんの少しのほろ苦さ。
見た目も味も、天界の食い物か?これは。
雲の上には、宝石のようなこの実がたわわに実る木々が森を成していて、そこで神様たちが昼からビニールシートを敷いて、サラダをアテに飲み会をしているのだ。と、いうような味。
死後天国に行けるかはちょっと怪しい身分なので、生きているうちにまた食べに来たい。

鯵なめろう。粗めに叩かれて食感が残っているのが、俺好み。
海苔を巻いたり、酢をつけて食べる。
俺も普段からなめろうには酢、一択。
どれだけ珍しいメニューがある中でも、定番料理であるなめろうだけはいつも頼んでしまうのは、俺の故郷・千葉の海を連想する料理からだろうか。

ここからワインにシフトチェンジ。
ジビエに合う白を、とリクエスト。

共栄堂、K23。甲州のブドウを使ったジャパニーズワイン。
ラベルがスーツ屋さんみたいだ。
すっきり爽やか、フルティーな酸味。甲州の葡萄畑が目に浮かぶ。

マンタの味噌カツ。マンタ、そうあのマンタである。
10代の頃の俺が、大海原を共に泳ぐことを夢見て、ダイビングのライセンスまで取ったマンタ。ゆとり世代の無気力な若者だった俺に、いっときの熱情と活力と行動力をもたらした、海の漂白者。
直接会うのは初めてだが、想像よりもいくらかこんがりしているな。

意外にも味わいは豚肉に近い。
同時に、確かに海のものの味がするから不思議だ。
口の中で繊維質がサラサラと解けていく、軽やかで優雅な食感。
余談だが。興味があったのでマンタの求愛について調べてみると、1匹のメスにオスの群れが列をなして追い回すんだそうだ。思ったよりも人間ぽくて親しみが持てる。
美しいバリ島の海で、巨大なオスマンタ達に追い回されているような気分だ。いい気分だな。

ダチョウハツ串。プルンプルン。
アフリカのサバンナとかでストイックに走り抜けているイメージだから、もっと硬いのかと思ってた。

牡蠣のエスカルゴバター焼き。バゲット添え。

牡蠣は半分にカットしてあり、仕事が細かい。
滋味深い、栄養豊富な海で育った味がする。今日だけは、プリン体や尿酸値のことを忘れよう。

ヒバ香る青森の山、鮮やかな菜の花畑、逗子の豆腐工房、幼少の夏休みの夕暮れ、故郷・千葉の海、宝石のような金柑が実る天国の森、栄養豊富な牡蠣の海、ダチョウが疾駆するサバンナ、山梨の葡萄畑、そしてマンタが悠々と列をなして泳ぐ大海原。
上質な料理をひと口齧るたび、たくさんの景色の中をトリップできる、そんなイマジネーションを掻き立てるお店。
ダイビングのライセンスはもう何年もペーパー状態だが、俺のフェロモンに釣られたオスのマンタが群をなしてついて来たら、さぞ気分がいいだろう。これだけはイマジネーションの世界ではなく、現実に、この目で見てみたい。今年の夏、まずは故郷・千葉の海あたりで、潜水のカンを取り戻すことにしようと思う。
旅はいつだって俺たちに、活力をもたらしてくれる。どうか皆さんも「酔い旅を」。
店舗情報
※データは全て取材時のものです










