新宿2丁目のゲイバーで働いていたことがある。
俺のような陰気で人相の悪い男がなぜどう考えても不向きな水商売などしていたのかといえば、それはいわゆる「自分探し」なのだった。ふつう自分を探すとき、人はリュックひとつで世界を1周したりするものらしいが、俺にはそんな気力も体力もそして金もなかった。それにほら、俺シティボーイだし。泥臭いことしないの。
というのは冗談で、具体的な話をすると皆さんがドン引きするだろうから割愛するが、ドロドログチャグチャの道ならぬ恋、それに伴う生きるの死ぬののすったもんだで、心身も預金口座もすっかり消耗していたのだ。
新宿2丁目なら地下鉄20分で行ける。アマゾンの奥地やピラミッドやアヘン窟にアイデンティティを探りに行くよりも、ずっと近くてリーズナブルだ。おまけにバーで働けばタダ酒も飲めるだろうし。家で布団をかぶってふて寝していても、切れ切れの悪夢に男の顔がちらつく。それならいっそ朝まで飲み明かして夢も見ずにガーっと眠ろう、と。

その頃からよく通うようになった、2丁目のネェさんたちも御用達、新宿3丁目『呑者家(どんじゃか)本店』
客との同伴やアフターに、出勤前の夕飯に、同業者ゲイたちとの飲み会に、とにかく当時は世話になりまくった居酒屋だ。3丁目エリアにいくつも姉妹店を展開する人気店。この辺りで飲んでいて呑者家を知らなけりゃ、そいつはモグリだろう。

店内は良くも悪くもThe大衆居酒屋。普段使いするにはこういう店が1番落ち着く。手書きの短冊メニューや黒板がカラフルで温かみがある。人気店のため結構賑やかだが、客層は不思議といい。新宿なのに。新宿なのに!?

季節のない、殺伐とした灰色の街・新宿。あの頃はこの店の季節感あふれるメニュー、旬の魚介類や野菜だけが四季の訪れを俺に教えてくれるような気がしていた。夜の世界を生きていると、1年があっという間に感じる。ああでも、新宿御苑は除く。桜の季節の御苑は、花見に興じる死ぬほど騒がしいゲイであふれ返るから。あれは壮観。

死ぬほど騒がしいゲイでいっぱいの花見会場も壮観だが、この店のメニューの多彩さも負けじと壮観。男の趣味だけじゃなく食べ物にも好き嫌いが激しく、こだわりが強いゲイという人種のニーズにもしっかりと応えている。ちなみに一応言っておくけど、ゲイだけじゃなく、ストレートのお客さんも大勢いるので皆さん安心して使って欲しい。

今はもう2丁目で働いてはいないが、あの街に繰り出す前の夕飯がてら、今も時折使わせてもらっている。酒は濃いめ。かんぱ〜い。

お通し。お袋のあじ、とかハートウォーミングなことを言いたいところだが、料理はどれもお袋のそれよりはるかに洗練されている。

まいたけバター。バターが別添えしてあるのが嬉しい。この店はレモンや調味料をケチらない。

自分で選べる刺し盛り(写真は3点盛り)に付いている薬味やわさび、もみじおろしもこの通り。刺身の鮮度はいうまでもない。左から、アジ、ブリ、ヒラメ。

カットも大きい。ヒラメはもみじおろしで。エンガワも付いてる。

アジには生姜とレモンでスッキリと。分厚いレモンは余ったらサワーにでもぶち込んでおけばいい。美味いアジを食べるとアゴがキュンキュンする。

馬刺しは赤身。とても美味しいけどゲイバー出勤前の人は、生ニンニクは避けた方がいいかもしれない。馬肉を食べると血がたぎるのか、冷え性の俺の指先にも温もりが宿るような気がする。それとも、新宿というスレた街に差すひとところのひだまりのようなこの店の雰囲気が、そうさせるのだろうか。

夜の街で働き不摂生を繰り返していた当時の俺が、栄養失調で倒れて道端の塵芥とならずに済んだのは、あたたかくて血の通ったこの店の料理のおかげだったのかもしれない。

さて。2年以上にわたるゲイバー勤務で探し続けた「自分」というやつは見つかったのかといえば、全然見つからんかった。むしろその期間も夜の世界で出会った男たちと、冒頭に書いたすったもんだに負けずとも劣らない修羅場を演じただけという気もする。何かを見つけたとしたらそれは色恋でしか魂を燃焼させることができない己の業のようなものだけ。
でも構わない。男に捨てられたらその都度この店で美味い酒と魚をつまみながら、ゲイの友人たちと飲みながら騒げばいいし、そのあと2丁目に流れて新しい男を探すのだ。もちろん、バーやクラブに繰り出す前には、鮮度抜群の生牡蠣で精をつけておくことも忘れずに。新宿の夜は長い。
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