かつて「メザシみたいになりたくない」という詩を書いた、10代の詩人がいる。
俺である。
手元には残っていないので(良かった)細かい内容は定かではないが、「みんな一列に串に打たれて何も見えなくなっちゃてるメザシみたいなお前らと俺は違うぜ、逸脱した孤独な道を行くぜ、イエア」みたいな感じだったと思う。黒歴史すぎる。
メザシ、という魚がいるのかと思ったらそういうわけではなくて、イワシ類を塩振って串に打って干したものを、全般でメザシというらしい。

メザシみたいになりたくない、という鋭敏な感性を持ってして尖りまくっていた10代の頃の姿は影をひそめ、今じゃメザシで焼酎ソーダ割り、みたいな凡庸なアンチャンになった俺ではあるが、この子達を見ていると思い出す1冊の絵本がある。
レオ・レオニの『スイミー』
幼少期、読んだことある人も多いのでは?
群れで暮らす色違いの小魚スイミーはある日、大きな魚に家族や仲間をみんな食べられてしまい、ひとり孤独に海の中を放浪する。その旅の中で、さまざまなものを見聞きし、成長していく。そしてかつての自分のように、岩陰に隠れて怯えながら生きている魚たちに、広い海へ出てくるよう促す。怯える彼らに、群れで泳いで巨大な魚のふりをすればいいことを教えるスイミー。そしてこう言う、「ぼくが、目になろう」
孤独、旅、そして逸脱は人を強く、賢くするものだという教訓の詰まったひとつの寓話である(たぶん)
ほろ苦いメザシの内臓を噛み締めながら、焼酎を流し込む。
そんなひとり晩酌の夜、このメザシにこの世界(海)はどう見えていたのだろうか、などと思いを馳せる。
そして痛風患者の俺は、メザシ1匹あたりのプリン体含有量にも思いを馳せる。











